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やめてそりゃないぜ

僕の一番の好み

この感情に名前を

 人間というものは、生きていく上で知らない方がいいことの方が多い。なんだってそうだ。知らなければ、心を煩わせることもない。人間の感情というものは、知識というものと合わさって成長していくと思っている。

 なので、私は、国分太一への感情に名前を付けて、知るということをしない。

 はっきり言って、知りたくない。知ったら一瞬で感情が育ち、頭も心も気も狂ってしまうだろうから。自分のことは自分が一番わかっている。この気持ちがどういったカテゴリに入る物なのか、一般的にどう呼ぶべきであろうものなのか、わかってはいるのだけれど、知りたくない。知ることが怖いし、ひとつの言葉に当てはめるのが嫌で、毎度毎度長ったらしい言い回しで、様々なものから逃げている。

「お慕い申し上げている」*1
「どうしようもなく焦がれている」*2
「心臓を安心して預けている」*3
「家の洗面所の鏡になって疲れたお顔を眺めたいし、もしくはリビングの床になって体重の増減を感じたい」*4

 基本がクソ面倒くさいオタクだから自分でも仕方ないと思っているのだけど、そんなこだわりなんか、他の人、まして事務所に興味のない一般人は気にしない。
「誰担なの?」
 と言われたときの、私の気持ちとしては、けっこう無に近い*5。最近「担」って言葉が周知されてきたから、こうして皆さん気軽に使うようになったけど、私にとって、担って、けっこう、重い言葉だからな…。と、なんとなく、心のあたりがもんにょりする。人様の担関係の話を聞くのは楽しいのに、自分のこととなると不思議だね。クソ面倒くさいオタクとしてのスタンスを崩さず、上記した4つの言葉のいずれか、もしくは類似したそれを返すと、納得のいっていない顔をされるのに納得がいかないけど、住んでいる世界が違うのだ。仕方ない。適当にごまかして話を切り上げる。
 たまにしつこく聞いてくる人がいれば「FCに入るときは松岡くんって書いた」と返すけれど、すっきりはしない。それと、これとは、話が、別でしょ!?っていう気持ちになるので。

 

 国分太一という男は、どうしようもなく愛しいオッサンだ。若い子や他のグループ担当の人から見た印象は、いつもふざけてる先輩というイメージが強いだろうけれど、根本が真面目だから、あんなにふざけて見えるのだ。何に対しても一生懸命な人なので、真面目に不真面目をやっている。

 DASH島になかなか来られないのだって他のレギュラーとの兼ね合いであって、おさんぽしに全国を飛び回ったり、第一月~金で2時間生放送をしているから、逆に島に長時間滞在している様子を見ると驚いてしまう。早く帰って寝なよ!大丈夫!?みたいな。最近は新宿の方によく訪れていて、この企画が始まったときに安堵したことを思い出す。実際「今日もDASHに太一いねえw」という言葉を見る頻度が減った。そうだよ。この人忙しいんだよ。そして、その全部に真面目なんだよ。
 もちろん、生きることにも真面目で、毎日真摯に生と向き合っていると感じている。大きい病気をしたり、今もまだまるきり健康体ではない。自分の年齢と寄り添い、人生の伴侶を迎え、子供を育てる、これが生きることではないと言われたら、私は愕然とする。この人の毎日は生の上で成り立っているのではないのかと。

 私が一番好きな彼のブログの記事は、だいたいこんな感じ。*6

今日はお休みでーす!
ゆっくりしてまーす!

 この二行の記事を見るだけで胸がぎゅうっと音を立てる。写真なんかなくていい。毎日、こうして、息をしたという証を届けてくれるだけで、十分すぎるほど、嬉しいから。

 

 好きだとか愛だとか、もしくは恋とかそういう感情を名前として当てるのは、違う。
 一番近いとすれば愛だろう。彼の生が何より心地いいから。好きという言葉ではどこか浮ついて、恋なんて青いものではないはずだ。

 だからといって、担という言葉は当てたくない。
 応援はしているけれど、担当と呼ばれたくない。そうじゃない、そうじゃないんだ、私は太一担じゃない…。と、自分に言い聞かせた期間があまりにも長く、その間に自分の中の担という概念自体が行方不明になってしまった。

 でも本当は担以外に一つだけ、ひとつだけ思い当たる言葉があるけれど、私はそれを"知らない"。知る前に、海に放り投げてきた、15年の9月。そして今日まで、これからずっと、知ろうとしないまま、過ごしていくのだろう。

 気持ちに答えなんてなくていいし、感情に名前なんて付けなくてもいい。知りたくないことは知らないままでいい、取捨選択が自由な事務所にいる。
 私は、国分太一のことを一人の人間として慕い、彼の生に焦がれている、そういう程度で、それ以上それ以下、どこでもない。この感情に名前はない。きっと知らない方がいい。

 

 って面倒くさいことを書くけど普通に好きとか愛しいとかかわいいとか格好いいとか言うし、でもそれはこの気持ちに対する名前ではないのでね。好きです。お慕い申し上げています。焦がれています。預けたけど返された心臓をもう一度預けさせてもらっています。でもこれは、好きでも恋でも愛でも、どの名前でもない。
 もしかしたら崇めるとか尊ぶとかいう言葉が一番近いのかもしれないね。だけど、きっと、それも違う。自分のことは自分が一番わかっているから、違う、って思うし、結局ずっと、名前なんかないまま、この感情を大事に抱いて生きていくんだと思います。

 と自分に言っておかないと、本当に頭も心も気も狂ってしまいそうだからね。
 全部全部自作自演の、私に対する言い訳ですよ。

 

 初めての記事がこんなのでいいのかな…。

*1:まぎれもない事実

*2:理屈とかじゃないんだよ。

*3:私にとって大きな存在

*4:古い友人に「無機物になりたいってところに狂気を感じる」と言われた

*5:今はそもそも担という概念がないので…

*6:あくまでだいたいであって、実際の記事ではない。